人間をついばむカラスはすぐ殺せ

洒落怖~名作集~
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「人間をついばむカラスはすぐ殺せ」

「でも、そんなカラス見たことないよ。カラスは、人間が近づくと逃げて行くよ?」

「見たことがないなら、いい。だけど、見つけたらすぐ殺せ」

「…なんで?」

「…」

俺がまだ幼かった頃。まだ祖父のする昔話がおもしろいと感じていたあの頃。

もう少しで夢の世界に入ろうかというときに、祖父はこの話をするのだ。

人間をついばむカラスはすぐに殺すんだ、と。

なんで?と理由を聞くと祖父は押し黙り、そのうち俺は眠りにつく。

翌朝になると、不思議と心に残ってないというか。あらためて祖父に尋ねることはなかった。

 

バジリスクという海外の化け物がいる。

某魔法使いの物語でかなり有名になったと思うが、これとよく似た東北の化け物を知っているだろうか。

似ているというのは語弊が生じるかもしれないが、とにかく、産まれ方は似ているはずだ。

それと、俺の故郷は東北のとある町だったから、関西の部落差別というのはよくわからない。

○○部落という言葉は一般的に使われていて、もちろん差別の対象になんてならなかったから、単なる地区の名称として使われていた。

前置きが長くなってしまったが、俺の住む部落にだけ伝えられる話がある。

『人間をついばむカラスはすぐ殺せ』というものだ。

話は遡って、俺が高校生の頃のことだ。

「人間をついばむカラスが見つかった。これから殺しにいくから、お前も手伝え」

「いやだよ、部活で疲れてるんだ。それにカラスなんて、ほおっておけばいいじゃないか」

「だめだ。部落の男が総出でカラスを探してるんだぞ。お前も探してくれないと困る」

まぁ、大年寄りの祖父が行くのに、若い俺が行かないってのは無いかな。

そんなことを考えながら、俺は軍手をつけて、大きめの草刈り鎌を渡される。

じいちゃんからは、汗と、畑仕事の後の独特な香ばしい臭いがした。

「じいちゃん、畑仕事した後はちゃんと風呂入れよ。くっさいよ?」

「今日は肥えだめ使ったからな。くっさいのは仕方ない。風呂入っても、肥えだめの匂いはとれないんだよ」

そんな話をしながら、祖父と俺は近くの林まで歩く。この頃の田舎道といったら、爽やかな青草の香りと強烈な肥料の香りが混ざり合って、『くっさい』という表現がぴったりだった。

「おう、やっと来たかい。カラスはまだ見つからねぇから、お前ぇらもがんばってくれよ」

林に着いて最初に見つけたのは、部落長の五月女(そうとめ)さん。みんなからは親しみを込めて『とめきっつぁん』と呼ばれていた。

「とめきっつぁん、おばんです。例のカラス、この林で見つかったの?」

「んだよ。じいちゃんから聞いてねぇのか?ここで、昼間に子供たちが襲われたんだよ」

どうやら、夏休みで林で鬼ごっこをしていた小学生が、カラスに襲われたらしい。この林は俺も幼いころよく遊んだ林だった。かつては自分の背丈ほどもあった林の草は、もう胸の高さにも届いてなかったのだが。祖父もとめきっつぁんに軽く頭を下げ、今の状況を聞いた。

「とめきっつぁん、部落の男は、来れるヤツはみんないるんだろ?獲物がいるのに、カラスは襲ってこないのか?

人間を襲うのは馬鹿カラスのはずだろう」

「そうなんだよな。子供が襲われてから、すぐどっかに隠れてしまって。出て来ねぇんだ。まぁ、焦ることはねぇよ。本当に人間をついばむカラスなら、すぐ我慢できずに出てくんだ」

話を聞くと、件のカラスはそうとうな阿呆のようだ。人間を見つけると、狂ったように襲ってくるらしい。手で払っても逃げないから、草刈り鎌で簡単に殺せるそうだ。

「とめきっつぁん、なんでそのカラスは殺さないとダメなんだ?ほおっておいていいんでないの?じいちゃんに聞いても教えてくれないんだ」

「まぁ、な…教えてやってもいいんだけど、お前、まだ学生だべ?あんまり難しいこと気にすんな。口で伝えるのはダメなんだ。見せないと」

「見せる?そのカラスを?」

「ちげぇよ。んーとな…。とにかく、口で伝えるのはダメなんだ。二十歳になって、まだこの部落に住んでたら見せてやるから」

俺はとめきっつぁんと一緒にカラスを探しながら、林の奥にある森へと進んでいた。祖父は俺達とは別の方向を探している。森の中まで入ると、もう畑の肥料の匂いはしなくて。夕暮れ時に特有の涼しい草の香りでいっぱいだった。部活で疲れた身体に心地よい、爽やかな青草の香り。

涼しい風と、まだ夜にならないからか、遠慮がちに聞こえてくる虫の声。

だから、その時は危機感なんてまるで無かった。言うなれば、部活で疲れてだるい身体の回復時間。

しかし、その気分を壊す怒号が聞こえるのだ。

「なんてことをしてくれたんだ!このクソアマが!!なんて大馬鹿なんだ!!」

聞こえてくるのは、自分たちのいる位置から東。夕日が沈むのとだいたい逆の方向だった。

「じいちゃんの声だ」

「んだな。何事だ?声が聞こえるってことは、すぐ近くだ。こっちから…」

「おーい、じいちゃん、どうしたんだ?」

草をかき分け、東へと進む。祖父の姿はすぐには見つけられなかったが、だれかのことを『クソアマ』なんて言う祖父は、後にも先にもそのときだけだったから、すごい異常事態だってことは何となくわかっていたのだが。

「うああああああああ!!!死んでる!!じいちゃん、この人死んでるよ!!」

そう叫んだのはもちろん俺。まさか、首つりの自殺死体を見るとは思っていなかったから。死んだあとどのくらい時間が経っているのだろうか。頭部は禿げ散らかり、着ている服からでしか女性であることが分からないほど、首つり死体は腐敗していた。爽やかな青草の香り?そんなものを感じていた自分は、いったいどこの馬鹿だろう。初めて嗅ぐ人間の腐ったにおい。くっさい、腐ったにおい。

ゆらゆら揺れるその死体に、祖父は罵声を浴びせていたのだ。この野郎!よそ者が!クソアマが!と。

「じいちゃん、何してんだよ!?死んでんじゃんか、この人!うああああ!!」

近寄れない俺を追い越して、とめきっつぁんが一歩踏み出す。なかばパニックになって、とめきっつぁんの存在を忘れていた。

「・・・・」

とめきっつぁんは何も言わなかったが、死体に向かって持っていた草刈り鎌を投げつける。彼もまた、怒っていた。

「どうしたんだよ、二人とも!死んでるってこの人!!どうする…どうすればいいんだよ!?」

「この、クソ・・・もう遅い。カラスが見つからないのは、このクソアマのせいだ。こいつのせいだ」

何が正しくて何が間違いなのかは、高校生の俺には判断できなかった。

祖父ととめきっつぁんの声を聞いて次第に部落の男たちが集まってきたが、同じように罵声を浴びせるジジイもいれば、俺と同じで首つり死体を直視できない中年のおやっさんもいた。

「もう夜が来る。たぶん明日だ。みんな、できれば今日中に、蜘蛛を見つけるんだぞ」

よほど興奮しているのだろうか、とめきっつぁんは唾を撒き散らしながらみなにそう告げた。俺たちはぞろぞろと森を抜け、林を抜け、家へと帰る。

玄関先では俺の父が帰りを待っていた。父は仕事から帰ってきたばかりらしく、まだネクタイをしていた。祖父から事の顛末を聞いた父は、「明日すぐ、蜘蛛を探す」と言っただけで、俺に声をかけることはなかった。聞きたいことは山ほどあったが、尋ねることはできなかった。

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