【祟られ屋シリーズ】オイラーの森

祟られ屋シリーズ
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シンさん、そしてキムさんに暇を貰った俺は、久々に愛車を引っ張り出してロングツーリングに出ることになった。

ただ、暇を貰ったと言っても、全くの自由行動と言う訳ではなかった。
シンさんが指定した幾つかのポイント・・・所謂『パワースポット』を廻って来いという指示が含まれていた。

俺は、キムさんから念入りに『気』を取り込む行法をレクチャーされた。
旅の目的は、その時はまだ自覚症状が無かったものの、自律的回復が困難な段階になっていた『心身のダメージ』を抜く事に有った。
以前、世話になった住職の言葉を借りれば『魔境』の一歩手前の段階にあったのだと思う。

その頃の俺は、俺の身を案じてくれるシンさんやキムさんの気持ちをありがたく思いながらも、一つの目論見を持っていた。
この旅を奇貨として、失踪を図るつもりだったのだ。
自分自身の変調に自覚症状が無かった事もあるが、想定外に長くなった異常な生活に心底嫌気が差していたのだ。
嫌気が差したと言っても、辞表を出して「はいそうですか」と言って辞めさせて貰えるはずもない事は俺にも判っていた。
キムさんから貰っていた『表』の仕事のサラリーは悪くない額だった。
『裏』の仕事のギャラは不定期だったが、元の職場で10年勤めても得られない額が殆ど手付かずで残っていた。
特に使い道も無く貯まった預金通帳の残高は、5年や10年なら潜伏するに十分な額があった。
逃亡資金が尽きて、最悪、ダンボール生活に堕ちても、それはそれで構わない。
消されるリスクを冒してでも、俺は異常な世界から逃げ出したかった。

さいわい、その頃の俺に失ったり捨てたりして惜しいものなど何もなかったのだ。

そんな考えに至る事自体が『魔境』に嵌り掛けていた『症状』そのものだったのかもしれない。
俺の計画を見透かすかのように、俺の旅には同行者が付けられることになった。
同行者の名は安東 勇・・・俺の出入りしていた空手道場の練習生だった。
少年部上がりのイサムは、キャリアは長いが万年茶帯の幽霊会員だった。
顔を合わせたのも2・3度で、見覚えは有るが特に印象の無い男だった。

だが、イサムと俺には意外な共通点があった。
イサム・・・安 勇(アン ヨン)は、かつてマサさんのクライアントとして、彼の姉と共に例の『井戸』のある『結界の地』に滞在した事があったのだ。
イサムに引き合わされる数日前に、それとは知らずに姉の方とは会っていた。
マサさんに連れられて、ツーリングの道中に身に付ける『お守り』を作るために引き合わされた女がイサムの姉だった。
イサムからは『能力者』の雰囲気は感じられなかったが、姉の方はゾクゾク来る『雰囲気』があった。
彼女が発する独特の雰囲気は、そう、かつて俺がこの世界に入るきっかけとなった事件で『生霊』を飛ばしてきた女に非常に似ていた。
違っていたのは、マサさんに向ける視線が艶を含んだ『オンナ』のそれだったことだった事か?
マサさんと女の微妙な間に、『このオッサンにも春が来たかw』と思ってニヤリとしたが、あえて突っ込む事はしなかった。
詳しい事情は判らないが、マサさんにとって安東姉弟が信頼の置ける人物なのは確かだった。

幾つかの行法の指導を受け、イサムの姉にパワーストーンの『お守り』を作ってもらいながら、俺は旅の準備を進めた。
放電し切って液も蒸発し、サルフェーションを起したバッテリーを交換。
オイルやフィルターも交換して、タイヤも前後新品にした。
久々に火を入れた147馬力のエンジンは10数年落ちの車齢が嘘のように快調な吹け上がりだ。
少々煩いノイズはご愛嬌。
リアシートに荷物を括り付け、タンクバッグにはマップ。
久々に腕を通したジャケットの革が硬い。
170サイズのリアタイヤが埃っぽいアスファルトを蹴り出して、俺とイサムの旅が始まった。

基本的にテントと寝袋で野宿しながら、時には倉庫の片隅などに寝泊りしながら、俺達はシンさんに指定された『ポイント』の半分ほどを回り終えていた。
移動の便宜を考慮してくれたのか、シンさんの指定したポイントはバイク移動に支障のある場所は殆ど無かった。

だが、その場所は少々勝手が違っていた。
詳しい位置が指定されておらず『管理人』の連絡先だけが指示されていた。
俺は、シンさんに渡されたメモを頼りに管理人の熊倉氏に連絡を入れ、指定の場所を訪れた。
促されてバイクを待ち合わせ場所のガレージに入れると、熊倉氏は表に停まっていたジムニーを『乗れ』と指差した。

長身のイサムは後ろで荷物に押しやられながら「狭い!」と呻いていた。
熊倉氏は、淡々と車を走らせ、やがて山に入っていった。
かなり舗装の傷んだ道路を暫く上ると、やがて林道だろうか、車一台がやっとと言った未舗装道路に入った。
オフ車ならそれなりに楽しそうだが、オンロードバイクにはちょっと厳しい道程だ。
雨でも降れば普通の乗用車はスタックしそうだし、ランクルのような図体のデカイ四輪駆動車ではストレスが貯まりそうな道だった。
暫く進むと開けた場所に出て、山小屋が現われた。
車を降りると濃密な空気が肺を満たした。
聞こえるのは沢を流れる水音だけで、ひんやりとした空気が心地よい。
意外なことに、この山小屋は・・・いや、この山自体が榊氏の持ち物らしい。

荷物を下して山小屋に入ると、事前に熊倉氏が運び込んだのだろう、一週間分くらいの食料品が運び込まれていた。
俺とイサムが腰を下すと、熊倉氏はそのまま厨房に立ち、食事の用意を始めた。
殆ど口を開かず、神経質な雰囲気の熊倉氏は取っ付きにくい印象だった。
イサムは俺以上に居心地が悪そうだった。

囲炉裏に火を起こし、鍋を吊るした。
釜から飯をよそって食事を始めると、やっと熊倉氏が口を開いた。

「どうだ?」

イサムが「美味いです」と答えると、ニヤッと笑って「そうじゃないよ」と言って俺の方に鋭い視線を向けた。

「この山のことですか?」

「そうだ」

「自分らは、あちこち廻って来たんですが・・・この山ほど濃厚で強い『気』が満ちている場所はありませんでしたね」

「俺に『気』だ、何だといった話を振られても答えようが無いんだが、まあ、アンタが言うならそうなんだろうな」

熊倉氏は俺の顔をじっと見つめながら言った。

「シンさんから聞いてはいたんだが・・・似てるな」

「?」

「榊さんの息子は、私の学生時代の友人でね・・・シンさんも言っていたが、アンタは友人に良く似てるよ」

「そうですか・・・」

翌朝、俺達は熊倉氏に連れられて森の奥へと入って行った。
20分ほど進むと、樹齢何年になればこれほどになるのかと言う大木が現われた。
間違いなく、この山の『ヌシ』だろう。
俺は、この大木の下を修行のポイントに決めた。

3日間、朝昼晩の1日3回90分づつ、この大木の下でキムさんにレクチャーされた『気』を取り込む行法を行った。
4日目の朝、俺が『行』を行っている間、暇つぶしに付近を散策していたイサムが、慌てて俺の許にやってきた。
『行』を中断されて憮然とする俺に「先輩、こっちへ来てください!」と言って、森の更に奥へと腕を引っ張って行った。
しぶしぶとイサムに付いて行くと、熊笹に半ば埋もれた状態の『妙なもの』が現われた。
平べったい石を幾層にも重ねてコンクリートで固めた円筒は井戸だろうか?
直径1mほどの『井戸』は板状に加工された黒い自然石3枚で蓋がされていた。
更に、井戸の周囲には黒錆に覆われた鉄杭が8本。

・・・似ている。

少し形は違うがマサさんの『井戸』に良く似ている!
精神的な動揺が大きく、『行』は不可能なので、朝の行を取りやめにして山小屋に戻ることにした。
『ヌシ』の前を通過して少し進んだ辺りで、俺は突然、吐き気に襲われた。
鉄臭いニオイの後、大量の鼻血も流れ出てきた。
どうやら、そのまま俺はそこで意識を失ったらしい。
次に気が付いたとき、俺は山小屋の床に横たわっており、外は日が落ちて暗くなっていた。

「先輩、大丈夫ですか」

俺が目を覚ましたことに気が付いたイサムが声を掛けてきた。

「ああ、大丈夫だ」そうイサムに答えた後、俺は熊倉氏にかなり強い調子で尋ねた。

「あの、森の奥の井戸のようなものは何なんですか?」

「そう慌てないで、まずは飯を食ってからだ。朝から何も喰ってないだろ?」

確かに、異常に腹は減っていた。
普段、俺は食が太い方ではないが、その時は自分でも呆れるくらいに食いまくった。
俺の食いっぷりにイサムは呆れ顔だった。
それを見越したかのように熊倉氏は普段よりかなり多めに用意したようだが、用意された食事の半分以上を俺一人で平らげていた。
食事が済んだ所で、俺は熊倉氏に再度尋ねた。

「あの井戸のようなものは何なんですか?」

熊倉氏は、暫し考えてから言った。

「アンタ達はあの『樹』の所からも帰ってきたし、『井戸』を見付けられたんだから、話しても良いのだろうな」

そう前置きして、熊倉氏は興味深い話をし始めた。

「君達、この日本と言う国の特殊性をどう考える?呪術的と言うか、精神文化的な側面から見た特殊性という意味で」

「前に聞いたのですが・・・、建国以来途絶える事無く続く、制度的・精神的『中心軸』としての『皇室』の存在ですか?」

「そう、確かにそれもある。じゃあ、その『皇室』を中心とした『日本国』或いは『日本民族』を存続させてきた『力』の根源は何だと思う?王朝や帝国は地中海沿岸や中国大陸、エジプトやメソポアミアにもあった。日本の皇室以上に呪術的な王朝は数限りなく存在したが、なぜ、日本の皇室や日本国だけが存続できたと思う?」

俺も、イサムも答えに困った。

熊倉氏の説明によれば、それは日本列島を覆う豊かな森林に負う所が大きいと言う事だった。
日本は先進国中ではトップクラスの、世界的に見ても特に森林の豊かな国と言う事だ。
乱開発による伐採によりかなり減少したとは言え、日本の国土の68%が森林であり、バブル期の乱開発の前は実に75%の森林面積を誇っていたのだ。
68%の森林率は、森林国として有名なフィンランドの73%強に続き、同じく森林国のスウェーデンの67%弱よりも大きい。
因みに世界の陸地の森林率は30%を割っていると言うから、日本が如何に森林に恵まれた国かが伺われる。
この日本の森林の際立った特徴は、森林蓄積の割合で、自然林は意外に少なく、実にその6割以上が植樹による人工林と言う事らしい。

日本列島には、太平洋の海流エネルギーが集中し、日本の海域には世界でも最も流線密度の高い暖流が流れている。
流線密度の高い海流が集中する地域は、穏やかな気候に恵まれ雨量も豊富となる。
気候が良く雨量に恵まれれば、その地域に人口が集中し、大都市が形成されやすく、文化・文明が発達する可能性が高い。
海流流線密度が低い地域は乾燥した気候が多く、その分遠隔地から真水を引いてこなければならない。
砂漠が広大となれば大都市が発達する可能性は低く、発達しても都市を支える後背地の自然環境が悪ければ居住環境も劣悪となる。

人口が集中しても文化・文明を発達させる余力に乏しく、貧困やスラムを産むだけだ。
日本列島は元々有利な自然・地理的環境にあったが、そこに住む日本民族自身が、良質な真水を得るために大変なエネルギーを自然に加え続けてきた。
真水を生み出すのは豊富な森林である。
過去、世界で森林を失った国は忽ち砂漠化し、文化・文明から大きく取り残される事になった。
現代においても、産業や先端技術を支えるのは教育の普及などの人的側面も大きいが、物的側面として良質な真水の存在が欠かせない。
産業の基礎となる鉱物資源等を入手する事以上に良質の真水を得ることは難しい。

だが、ただ豊かな森林があるだけでは、例えば広大な熱帯雨林があるだけでは高度な文明や文化は発達しない。
自然環境と人的エネルギーの融合が無ければ、人間の文化・文明を支える良質な背景的自然環境に成り得ないのだ。

日本人は、この自然環境との共生が民族的深層心理のレベルで最も進んだ民族と言うことだ。
日本の神社には必ず森があり、神木がある。
日本民族古来の自然・宗教的な無意識領域では、森が無ければ神は天降ってこない事になっているからだ。
日本民族は、この日本列島と言う自然環境に気の遠くなるようなエネルギーを注ぎ込んできた。
そして、民族的深層心理のレベルで『一体化』を図ってきたのだ。

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