半田親子が榊家に保護されてから3ヵ月後、マサさんの回復を待って、千津子と奈津子に対する『処置』が行われた。
処置を行ったのは木島とマサさん、そして、以前、ヨガスクールの事件を持ち込んできたキムさんの知り合いの女霊能者だった。
彼女は以前にも『能力』を悪用していたヨガスクール関係者の『力』を封印していた。
そういった力なり技の持ち主なのだろう。
二人の『処置』は成功裡に終わったらしい。
俺は、シンさんの許を訪れる、木島の迎えに出ていた。
駅を出てきた木島は、迎えの車に乗り込むと、俺宛の紙包みを車中で渡した。
中には藍の絞り染めのバンダナが数枚と、2通の手紙が入っていた。
バンダナは、奈津子が祖母の榊夫人と共に染めたものらしい。
額の刃物傷や頭の手術痕、アスファルトで削られた頭皮の傷痕を隠す為に、俺が頭にバンダナを巻いていたのを覚えていたようだ。
手紙は千津子と奈津子からだった。
たどたどしい文字だったが、読み書きが殆ど出来なかった親子の知能は『処置』後、急速に伸びているようだ。
もともと、二人はアパートの大家の熱心な教育?の効果もあってか、日常生活をほぼ支障なく送れるレベルにはあったのだ。
俺は木島に「二人は元気にしているのか?」と尋ねた。
「ああ。榊夫妻が猫可愛がりしてるよ。榊の爺さんは、もう、目に入れても痛くないって感じだな。偶には会いに行ってやってくれ。お前が行けば二人が、それに榊夫妻も喜ぶ」
「なあ、あの仕事、シンさんは何故俺を選んだんだ?」
やや間を置いて木島が答えた。
「シン先生は、組織内で微妙な立場に在るんだ。韓国人でありながら強い影響力を持っていて、組織でも高い地位にいるからな。キムやマサは、シン先生の指示にしか従わないしな。能力第一で、血筋や家柄なんて二の次、三の次の俺達の業界でも、逆恨みや、やっかみは跡を絶たないのさ。特に、毛並みだけは良いが力のない、佐久間のような連中にとっては、シン先生達は目障りな存在なんだ。奴らにとっての拠り所でもある、毛並みも力も備えた『名門』、榊家の次期当主を消した韓国人のシン先生達への恨みは実に根深いものがあるんだよ。それに、組織の当初の方針に反して千津子を消さなかったのは、シン先生の強力な働き掛けがあったからだしな。
頭の古い連中に角を立てずに処理するには、非メンバーで日本人のお前が何かと好都合だったのさ。お陰で、以前から怪しい動きをしていた佐久間や他の鼠を駆除できた。助かったよ」
「全て仕組まれていたって訳か・・・本当にそれだけか?」
「・・・否。・・・お前は、死んだ榊先生に良く似ているんだ。顔や雰囲気、どうしようもない甘さ加減までな。あの親子の『力』はちょっと厄介でね。一旦発動すると歯止めが利かないし、彼女達自身がコントロールできる類のものでもないんだ。・・・死んだ旦那や、会ったことはないが父親にそっくりなお前なら、少しでも成功の可能性が高くなると踏んだのだろう。実際、あの親子は、お前には心を開いていたからな。かなり際どかったけどな」
「T教団や飯山達は?」
「T教団とは手打ちをした。奴らがあの親子に手を出す事は今後一切ない。奈津子にやられた飯山は、榊の爺さんの処置で何とか命だけは取り留めたが、寝たきりでアーとかウーとしか言えなくなっちまったよ。
奴らも、あの親子の『力』の恐ろしさが骨身に沁みたらしい。とても飼い慣らせるものじゃないと悟ったのだろうさ」
やがて、俺達の車はシンさんの自宅に到着した。
木島とシンさんたちの打ち合わせが終わると俺は応接室に呼ばれた。
俺と入れ違いに木島が部屋を出て行った。
「近い内に遊びに来い。榊さんやあの親子以外にも、お前に逢いたがっている人がいるんだ。一席設けるから一杯やろう」
俺の肩を叩きながら、そう言って、木島はシンさん宅を後にした。
木島が出て行くと、シンさんが「掛けなさい」と俺に席を勧めた。
テーブルを挟んでキムさんの正面の席に俺は座った。
席に着くとシンさんが口を開いた。
「汚くて危険な仕事を押し付けてしまって、君には本当に済まない事をしたと思っている。しかし、君がいなければ恐らくあの親子を救う事は出来なかっただろうし、手の付けられない重大な事態が起っていただろう。マサも、その後に到着した木島君や榊さんも、あの親子の力を止める事は出来なかっただろうからね」
「そうなんですか?」
「ああ。あの親子の恐ろしい力は、身を以って体験しただろう?あのマサですら、千津子一人の力を受けきれずに命を落としかけたんだ。
お前の機転で奈津子が止まらなければ、あの場にいた者は全員命を落としていただろう」とキムさんが答えた。
「私は、あの親子をどうしても救いたかった。キムやマサ、木島君もね。しかし、あの親子の力は危険すぎた。7割、いや8割くらいの確率で、最悪の方法を採らざる得ないだろうと覚悟していた」
「それほどにまでに・・・」
「ああ」
「あの親子の力って何なんですか?あの親子は人に呪詛を仕掛けるタマではないし、あの力の発現は一種の『自己防衛』だったように思えるのですが?それに、あんな危ない橋を渡ってまで、あなたやキムさん、マサさんや木島さんがあの親子に固執した理由も知りたい」
シンさんは俺を制して言った。
長い話になる。一杯やりながら話そう。そう言うと、若い者に酒を運ばせた。酒は自家製のマッコリだった。
大した強さでもないその酒を2・3杯飲んだシンさんは、
「すっかり酔っ払ってしまった」と言い、「これから話す事は年寄りの世迷言だと思って聞き流して欲しい」と言って昔話を始めた。
シンさんの昔話・・・それは、心ならずも呪術の世界に足を踏み入れて、人生を狂わせた男の話だった。
30数年前、宋 昌成(ソン チャンソン)と宋 昌浩(ソン チャンホ)と言う在日朝鮮人の親子がいた。
息子の昌浩は優秀な男で、周囲から将来を嘱望されていたらしい。
父・昌成は息子をC大学校に進学させ民族学校の教員、或いは民族団体の活動家にしようと考えていたようだ。
実際、その方面からの勧誘も盛んだったらしい。
だが、昌浩は日本の大学に進学する事を希望しており、進路を巡って父親と激しく衝突した。
昌浩は勘当状態となり、単身上京。
兄の友人が経営する会社で働きながら、勤労学生として大学に通っていたと言う事だ。
ある時、昌浩は、取引先で、ある女と偶然に出会った。
郷里にいた頃、学校の近辺の図書館や学習室でよく見かけた女だった。
その女、『美鈴』にとって昌浩は見覚えのある顔に過ぎなかったようだ。
だが、昌浩にとって美鈴は密かに憧れた『忘れられない女』だった。
始め、『美鈴』は同郷の昌浩を警戒し、彼を避けていた。
美鈴は郷里のある被差別部落の出身者だった。
また、詳しい事は話さなかったが、人の手を借りて家族の元から出奔してきていたらしい。
美鈴は自分の出自だけではなく、同郷の昌浩を通じて郷里の家族に自分の居所を知られる事を極度に恐れていたのだ。
昌浩は自分の在日朝鮮人の出自を明かして「くだらない」と一笑した。
また、自身も父親と衝突して勘当の身であり、郷里には戻れない立場である事を明かした。
二人は交際するようになり、やがて同棲を始めた。
そして、美鈴が懐妊し、その腹が目立ち始めた頃に事件は起こった。
美鈴が懐妊して直ぐに、二人はある男に付き纏われるようになった。
男は美鈴の兄だった。
家族に居所を知られると言う、美鈴の恐れていた事態に陥ったのだ。
だが、昌浩は、美鈴の懐妊と言う『既成事実』から事態を楽観視していた。
美鈴の兄の付き纏いは執拗だったが、同じアパートに住む職場の仲間の協力で美鈴に兄の手が及ぶ事はなかった。
しかし、そんなある日、事件は起こった。
その日は、地元の祭りで昌浩やアパート住民の男達は出払っていた。
女達も食事の世話などで出ていたが、身重で朝から体調のすぐれなかった美鈴は部屋で寝ていたらしい。
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