福井への社員旅行のときの話。
魔の社員旅行初夜が明けた二日目の朝。前日に浴びるほど酒を飲んだ為か俺の愚行の為か、いつもの倍機嫌が悪いケイさんに
全身を踏み付けられて起床した俺は、身仕度を済ませバスに乗り込み、芝政ワールドに向かった。芝政はそれなりに楽しく、なにも変わったことは起きなかったが、
今回の旅行の目玉であり、イッちゃってるうちの院長がいちばん行きたがっていた自殺の名所、東尋坊が問題だった。
最初は俺も何も考えずに芝政のノリを引きずって、はしゃぎながら同期の松田と写真を取りまくったり「海のばかやろー」などと
意味なく叫んだりしていた。ケイさんには「煙と何やらかは高いとこが好き」と嫌味を言われたりしたが、高所恐怖症なヤツの負け惜しみとしておく。
その後調子に乗った俺は、松田と崖下のほうに行き、小蟹を取ろうと石段のようなものを降りていた。段々みんなから離れて、水辺まで来た俺たちは必死に小蟹を探していた。 そのとき、水面に何かが白く光って見えた。
「なんだあれ?」
俺は思わず覗き込んだ。ゆらゆらと揺れる水面に映る青白いもの。魚のようで、でももっと細くて…
それが、人間の腕だと気がついたのは次の瞬間だった。
「うわ、あぁあっ!!!!!」
慌てて飛び退いた。だが、それと同時に、俺は「何か」に突き飛ばされた。
背中を押される感覚は、残念ながら学生時代に親無しだといじめられた経験からよく知ってる。
あの悪意に満ちた、寒気がするような手の触れる感覚を、俺が間違えるはずはない。そのまま俺は前のめりになって水面にダイブした。
水中で目を開けると、ぼんやりと見えてくる白い腕。岩の隙間からゆらゆらと生えているかのように揺れている。この世にこんな気持ち悪い光景があるだろうか。
バラバラに指が動き、白い腕はひたすら揺れている。
幽霊なのか自殺者の死体なのか知らないが、手招きするような動きをする白い腕はとにかく不気味で、一刻も早く水から上がろうと上半身を出した。
だが、絶望的なことが起きた。
そこまで深いわけでもないだろう場所なのに、海草にでも引っ掛かったのか、右足が動かないのだ。引き上げようと俺の手を引く松田にもそれがわかったらしく、松田が応援を呼ぶ。
「助けて!!誰か!!」
その様子に気付いた何人かが石段を降りてやって来る。
四人ほど集まってきて、腕を引っ張って引き上げようとしてくれる。
その中にはケイさんもいた。
「踏ん張れ馬鹿!!!!死ぬぞ!!!!」
だって足が動かないってのに踏ん張れもクソもない。だいたい助けに来てもらっといてなんですが、あんたのが死にそうです。
と言いたいのを堪えて、足を散々ばたつかせて、嫌になるほど岩にぶつけながらなんとか引き揚げてもらった。
みんな安堵のため息をついて、気をつけろよ、と俺を小突いた。松田は半泣きになりながら俺の顔を汚いタオルで目茶苦茶に拭いていた。
「お前突然飛び込むからびっくりしたよ」
と松田は言った。
違う、何かに突き飛ばされたんだ。そう言おうとしたとき、気分悪そうにしながらケイさんが言った。
「足、見てみろ。」
その言葉に自分の足を見て、戦慄が走った。
俺の足首にびっしりと長い髪の毛が絡み付いていたのだ。黒い長い髪の毛が、まるで鎖をするかのように。
「ケ、ケイさん」
「お前マジでありえねぇ。二日で何回死にかける気だ?」
吐き捨てるように言うと、ケイさんはフラフラしながら石段を登っていった。
「次やったらマジで見捨てる」
振り向き様、青ざめた顔で言われた。俺は謝るしかなかった。松田は「キモい!!」を連発しながら俺の足首に絡まった髪の毛をちぎって捨てていた。
その後松田に水面を見て確認してもらったが、俺がみた白い腕などどこにもなかったという。
どちらにせよ、二度と東尋坊には行かないと誓った。
そんな悪夢の旅行から二週間程過ぎたとき、松田と後輩がひどく興奮した様子で何かを持ってきた。
渡されて見て見ると、それは旅行初日に踏切で撮った写真だった。俺はゾッとした。俺の肩越しに、何かの「目」が写っていたからだ。血走ったような生々しい目が、こちらを見つめている。その気持ち悪さに、俺は即座に写真を捨てた。
何から何まで最低な旅行だった。あれから一年が過ぎ、もう三か月もすればまた旅行がある。今回は俺の故郷でもある京都らしいが、頼りのケイさんのいない今、
俺は参加を迷っている。
今度こそ、死んでしまう気がして。
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