蜘蛛の巣

洒落怖・怪談(管理人著)

幼いころから、僕はよく蜘蛛の巣にひっかかる。

古びた廃屋に入ったわけでもなし、林の中に分け入ったわけでもなし。
ただ小学校の野外授業で昇降口から出たとき、なんとなしに街中を歩いているとき、商業施設の中をぶらぶらしているとき。
僕は蜘蛛の巣にひっかかる。

顔や腕や足。服がかかっていない部分に不意にほんの小さな抵抗感と違和感を覚える。
「ああ蜘蛛の巣だな」と思って手で払ってみる。
しかし不思議なことに蜘蛛の巣はそこに存在しない。

『スルメイカを鋏で切るときの感覚が、自分の踵(かかと)を切る感覚のように思われる』

そんな話をどこかで聞いたことがある。
これを語った人は本当に自分の踵を鋏で切った経験があるわけではないだろうが、おそらく何かと何かの感覚が似通っていることはあるように思える。

僕の「蜘蛛の巣にひっかかる」感覚は他の事象をそう思い込んでいるだけなのかも、とも思う。
虫が身体をかすめたか、抜けた髪の毛が肌に触れたのか、風に乗った小さな塵がまとわりついたのか。

でも、あの妙な粘り気をもって身体に張り付く細い細い糸の感覚は、どうしても蜘蛛の巣としか思えなかった。

小さいころ、祖母にそのことを話したことがある。
なぜ両親ではなく祖母だったのかというと、感覚だけを残して実体のないその蜘蛛の巣の存在に何か不可思議なものを感じていたからだ。
つまり僕は子どもながらにこういう類の案件は祖母のほうが得意である、などと勝手に思い込んでいたのだった。

「そりゃヤツカギじゃ。気にすぅな」

祖母が「気にするな」というので僕は気にしないことにした。
子どもながらに「そういうモノなのか」と得心しただけだった。
別段、蜘蛛の巣にひっかかったところで不都合なことはないのだ。
幼少期というのは理屈でないモノも大人が言うなら疑いもせず呑み込める。

ただこの『ヤツカギ』というものが何なのかは当時はわからなかった。

僕が20歳を過ぎたころ、不意にその時のことを思い出した。
「ヤツカギ」とは何だろうと適当な漢字をあててみた。

八鍵。
矢津鉤。
奴鑰。

どれも酷い当て字にしかならない。
辞書をめくって「ヤツカギ」という言葉を探してみるが、該当するものはない。
試しにインターネットで検索してみたところ「ヤツカギ」ではなく代わりに「八束脛(ヤツカハギ)」また「夜都賀波岐(ヤツカハギ)」というワードがヒットした。

「ヤツカハギ」は、その昔、大和朝廷の時代に朝廷の支配から逃れ独自の文化を維持し続けた地方の豪族たちを呼ぶときの蔑称の一つだという。

そして、別名は「土蜘蛛」ともいう。

陸奥、摂津、越後、常陸、肥前に広がっていた彼ら豪族たちは次第に大和朝廷の支配下とされていくこととなる。
戦争と弾圧と差別の中で、彼らが残した恨みが現世まで続いているという話はどこかで聞いたことがあった。

また土蜘蛛という名の妖怪の話も出てきたが、これは妖怪話と地方豪族たちへの差別が入り混じった創作のように思われる。

祖母がいった「ヤツカギ」と「ヤツカハギ」が同一のものかどうか、また同一であるならどういう意味でそういったのか。
訪ねようにもすでに祖母は他界してしまっていた。

祖母も昔の人であったので何かしらの文献で「土蜘蛛」を知り、それを僕の蜘蛛の巣にひっかかる話と結び付けて「ヤツカギ」と言っただけなのだろうか。

『祖母の家系は、中部地方某所の小さなお城の城主の家系だ』

そう祖父が生前語っていた。

祖先が政権側の人間で、地方の豪族たちを弾圧していたために恨みを買い、巡り巡って末代の僕に蜘蛛の巣をひっかけて嫌がらせをしている。
などと適当にこじつけてみたが、どうもしっくりこない。

祖父が語るお城の城主様とやらと1500年以上前の大和朝廷の時代とが一致しないように思われるし、そもそも遠い祖先がそんな立派なご身分だという話自体がハッタリ臭い。

昔は、大きな蔵を持っていて、中には刀や鎧などがごった返していたが、祖母の祖母にあたる人が「邪魔だから」という理由で売り払ってしまった。
という話も聞かされたことがあるが手元にない刀を自慢されても困る。

それにどういう因果で太古の「土蜘蛛」に恨まれているか知らないが、その復讐の方法が蜘蛛の巣をひっかける程度であるなら可愛いものだ。
平清盛は首だけで飛んでくるというのに。

と、ここまで無理やり話を拡げてみたが、僕が「蜘蛛の巣にひっかかる」こととの繋がりは見つけられなかった。

なぜこんな愚にもつかない話を書いたかといえば、先日また蜘蛛の巣にひっかかったからだ。

顔に張り付くあのわずかに粘り気を含んだ糸の感覚。

指でそれを払ってみる。

指先に視線を落とす。

蜘蛛の巣はやはり存在しない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました