双子山

山の怪

ある北国の山あい。

鄙(ひな)びた温泉宿で、僕は穴を掘っていた。

脇の木製のベンチに腰をかけて、夕闇に浮かぶ、整然と美しく並んだ双子山を眺めた。

「今日の作業は終わりか。日没まで間もないしな」

僕は呟いて、部屋へと戻った。
肉体労働の疲れは、上質の睡眠薬をもしのぐ程、短時間で僕を眠りへ誘った。

どれ位経ったか。目が覚めた。日はとっぷり暮れている。
何気なく窓の外を眺めるが、薄闇の中に、山際が茫と浮んでいるだけだった。

「おめの命コとれせ」

不意に、掠れた様な女の声が聞こえた。

「え…」

僕は耳を疑った。
目を細め、声の主を探した。

「こご掘れば、まえへんネ」

今度は、はっきり聞き取ることができた。
いつの間にか、部屋には生臭い匂が充満し、胸が悪くなる。
正体を確かめようと、とっさに周囲に目を走らすと、部屋の出入口に人影が居た。
扉を開いた様子もなく、そのうつろな背中は、消える様に見えなくなった。

「掘ったら…殺される?」

頭が真白になった。

この温泉宿は、僕の親戚が細々と営んできた。
それが、近年の温泉ブームに後押しされ都会からの宿泊客が増えた為、露天風呂を新設することにしたのだが、専門業者に仕事をしてもらう様な金はなく、家族で造ることにした。

原泉を掘るわけではないから、素人でも何とかなるのだ。
僕は、休暇がてらに手伝いを申し出て、この宿に滞在している。

夜闇に浮ぶ双子山。

この山に纏わる伝承が幾つかある。
双子山には姉弟の山神様が住む。
ろくろ首を幾体もお供に従え、里に季節を運んでくる。

また、昔話ではこの山一体を統治した侍が、巨大なまな板の上で女房をぶつ切りにした。
殺された女はその怨念を晴らすべく未だに山を彷徨っていて、里の男を惑わし死へと誘うそうだ。
こうした不気味な伝承も怯えを増徴させ、その夜、僕は何をするにも辺りの気配ばかり気にしていた。

寝床に入った後も、僕は暫く眠れなかったが、疲労が恐怖を上回った様だ。
不意に、目が覚めた。
どうやら、僕は眠っていたらしい。

「ドサッ」

突然布団の上に何かが落ちてきた。

いつの間にか、部屋にはあの生臭い匂が満ちている。
雪明りを頼りに暗い部屋に目を凝らして、今起きている事の理解に努めた。
布団からは決して出ずに、落ちてきたモノを手でまさぐった。

嫌に軟らかい。

少し滑り気がある。

「ドサッ」

また何かが落ちてきた。

すぐに布団から飛び出した僕の眼が捉えた者。

前腕が切れ落ちた青白い女。

布団の上に落ちた二個の肉塊。

女は無表情のまま「おめの命コ」と呟いた。

僕の頬に、冷や汗が一筋流れた。
女の体中に、赤い線が幾筋も浮かぶ。
汗が、僕の首筋から、じっとり湿った胸元に流れ込んだ。
女の体を覆う筋から、赤黒い血が糸を引いて垂れ流れる。
汗が僕のへそに行き着いたその時、女の腕が、脚が、胴体が、「ブチブチッ」と音を立てて千切れ飛んだ。
最後に残った頭部が宙に浮いたまま口を開いた。

「こご掘れば」

目を横切って赤い線が走る。

「まえへんネ」

女の顔は、瞳を境にバックリと上下に切り開かれ、ぐちゃっと布団の上に転がった。
鮮烈な血の匂が鼻を突き、僕は堪えきれずに嘔吐した。
ぶつ切りの女の死体は、
止め処なく血を流し、うねうねと蠕動した。

「ぎゃあっ」

僕は大声で叫んでしまった。

得体の知れない別の気配を感じたのは、その時だった。
床の間の辺から、室内とは思えぬ強烈な風が吹き付け、僕の髪を舞い上げた。
目を細め風の向うを見つめると、二つの幼い顔が見えた。
おかっぱ頭の無邪気な顔。
しかし、二人の体は赤く腫れ、膨れ上がり、細い亀裂が全身を覆って、所々肉が裂け体液が噴出している。
二人は爛れた口を尖らせると、寒い冬風を吐きかけて女の肢体を吹き飛ばした。女の残骸が断末魔の叫びと共に霧消した。
まったく状況が掴めず、僕は呆然としていた。

「おどさまこえしじゃた」

そう呟き、二人が僕の胸に抱きついた。
そして、すぅと消えた

――翌日。

僕は一心不乱に土を掘った。
そんなに深く掘るまでもなく、その手がかりを見つけられた。

二体の子供の骨。

温泉宿の大婆が駆けつけた。
婆は骨を箱に収めて、双子山に向かって手を合わせた。
里の言伝えによれば、侍が女をぶつ切りにしたのは、女が彼の実子(姉弟)を大釜で茹で殺して、銀杏の木に寄る土地に埋めた為だ。
死体の場所は二羽の小鳥が伝えたという。
以来、姉弟は山の神となり里を守っている。

僕の掘った土地の脇には銀杏の木が佇む。

山神が僕を助けてくれた。

「ありがとう」僕は双子山に手を合わせた。二羽の小鳥が山際でいつまでも戯れていた。

(まえへんネ = いけない、許さない)
(命コとれセ = 命をとるぞ)
(こえしじゃた = 恋しかった)

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